不毛な哲学

この世で私たちが見ているものは全て、頭の中の投影に過ぎない。

そう考えると、幻覚と呼ばれるものもまた、現実なのかもしれない。

私の友人に、統合失調症を患っている人がいる。

幻覚が見え、幻聴が聞こえるらしい。

本当かよ?と当事者でない私は勘ぐってしまうこともあるが、反射などを除き、大概の感覚が脳内で感じているものと考えればなにも不思議ではない。

信じがたいけれど、私が見ているものや聞こえているものも、全て脳内で感じているのだから、幻覚や幻聴が混じっている可能性を否定できない。

更にいうと、世界五分前仮説のように、全てが虚構なのかもしれない。

そう考えると、とても面白い。

脳を自在に操ることさえできれば、自分の楽園を生み出すことも可能であるわけだから。

既にそのような生命体がいるのかもしれない。

身近に生えている草木も実は今、夢を見ているのかもしれない。

そのように考えている自分自身も盛大なる夢を見ているのかもしれない。

真理はわからない。

「我思う故に我あり」とデカルトのように、考えている自分自身が存在するということぐらいしかわからない。

そして、もはや存在という定義も曖昧でよくわからなくなってくる。

魂というか、空気というか、そういったよくわからないものが私であり、そいつが今考えているのかもしれない。

そんなことを頭に巡らせていた。

なんて不毛なことを考えているのだろうか、私は。

 

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